この記事は、地域のクリエイティブ現場を届けるメディア「thinc Journal」で掲載されている手塚さや香さんのインタビュー記事『複業フリーランスとして生きる』について、読んでほしいポイントをお届けします。
——— 記事の概要
埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれ、現在は岩手県釜石市を拠点にライター、キャリアコンサルタント、「いわて地域おこし協力隊ネットワーク」のマネジャーという複業フリーランスとして働く手塚さや香さん。全国紙の記者からキャリアをスタートさせ、東日本大震災後のボランティア経験を経て、復興支援員「釜援隊」に。任期満了後も釜石市で暮らすことを選び、複業フリーランスとして活動されています。手塚さんが岩手県に意識を向けることになったきっかけ、復興支援員を終えたあとも釜石市で暮らし続けることを選んだ理由、複業フリーランスという働き方についてなど、たっぷりとお話を伺いました。
——— 読んでほしいポイント
「やりたい」を伝え続け、チャンスを得る
新聞記者を志した当初は社会部を志望していた手塚さん。しかし、配属先の岩手県で取材を行うなかで、自分のやりたいことができるのは「学芸部」ではないかと気付くことになります。その後、異動の希望を出せる機会に「学芸部に行きたい」と伝え続けたことが功を奏したのか、東京本社への異動のタイミングで学芸部に移ることができたといいます。もちろん、組織に属している以上、希望通りの部署、立場に移れることばかりではありません。しかし、何事も伝えなければはじまらないのも事実。会社員、個人事業主、フリーランスの立場を問わず、「やりたい」を伝えることは、希望の仕事に携われるチャンスを引き寄せるはじめの一歩になるかもしれませんね。
収入の軸を複数持つことは
安定にも強みにもなる
手塚さんが複業フリーランスになったのは、独立にあたり「ライターだけで食べていくのは厳しいのではないか」という想いがあってのことでした。しかし、今では収入の安定だけではなく、2つの職業を掛け合わせることで新たな仕事のチャンスを得られるといった、複業フリーランスならではの良さも生まれています。クリエイターとして生きていきたい人にとって、複業フリーランスは収入の安定につながるだけではなく、個人としての新たな可能性を広げることにもなるのではないでしょうか。
「わからない」を大切にする
長年ひとところに身を置くと、地元の人たちと親しくなり、その土地の人たちのことがわかったような気になる瞬間が訪れるかもしれません。しかし、たとえ同じ体験を同じ場でしていたとしても、他人のことをすべて理解することはできません。震災時に大阪府にいた手塚さんは、「どれだけ長く住んでいても、被災者の方の気持ちはわからない」ことを意識しているといいます。それは何も被災経験だけにいえることではありません。安易に「わかった」気にならないことは、誰かと仕事をしたり活動したりする際に非常に大切なことです。
——— まとめ
震災により被害を受けた岩手県沿岸部へのやむにやまれぬ想いから、震災翌月にボランティアに行き、岩手県との縁が現在にまでつながった手塚さん。新聞社を退職後、復興支援員になったときには任期満了後のことは考えておらず、任期を終えて個人事業主としてのキャリアを本格スタートさせたときにも、「複業フリーランスとして生きていくぞ」といえるまで明確な戦略があったわけではありませんでした。結果として、岩手県釜石市を拠点とする複業フリーランスという手塚さん独自のキャリアにつながりました。目の前の出会いや偶然を大切にしていくことが、巡り巡って自分にとって良いキャリアの実現につながっていくのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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Ⅰ.縁あって岩手へ
Ⅱ.偶然の繰り返しが今に
thinc Partner編集部